古川寺は松本平の西方山麓、古見、旭城址を背に建つ高野山真言宗の寺であり、山号を「普門山」、院号を「延命院」とし、以前は京都「知積院」の末寺であったが、現在は「高野山金剛峯寺」が本山である。
開基は、永長年間(1096)の草創の古刹で、当山より山中に入ること約一里、密教寺院独特の奥の院形式、慈眼山清水寺(京都清水寺の元寺であるという)の里寺であったと云われている。
永禄初年(1558)古見旭城主、上條佐渡守信隣、多病の為病気平癒、寿命長久を祈り、普門殿を建立、延命地蔵、薬師如来を勘請し観音脇仏とし、中興開基となる。後、慶長十九年(1614)小笠原秀政公の加護を受け、中興第一世住職「良應」寺を修復、堂宇を再建す。
寛永十五年(1639)観音堂(村文化財指定)を再建、宝暦年間に至って今まで、不動尊を本尊とした本堂を再建、大日如来を本尊に安置、武者隠しの間等で知られている庫裡は天保三年の建立である。